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【特集】他者を楽しませ、自身も楽しむ「笑って減災なまず流」ー「たかしま災害支援ボランティアネットワークなまず」の活動に見る「新しい公共」の力の可能性(3)

2011.02.24

楽しませるのも大事、でも自分自身が楽しまなければ続かない[2]たかしま災害支援ボランティアネットワークなまず 代表 太田直子さん

防災の実践には必ずしも至っていない

 なまずの活動は現場の受講者に喜ばれ、防災まちづくり大賞(総務大臣賞)を受賞するなど第三者から高く評価もされている。だが、太田さんはその効果を過信してはいない。

 「防災・減災について、備えに勝る対策はないと、ことあるごとに強調しています。なかでも最も大事なのは個人の備えです。個人が災害に備えることができれば、家庭内の自助にもなるし、ひいては地域の共助にもなります。でも、その個人の備えが一番弱い。出前講座を開きます。その場では確かに防災力は少し高まっているのだろうと思います。しかし、家庭に戻って実践に至っているかとなると、そうはなっていないのではないかと私は感じています」

 厳しい認識だ。実際、なまずの地元高島市でも住民の防災意識は低調なままだと太田さんは指摘する。自主防災組織は存在するが、活発な活動は展開できていない。なまずが市民を対象に開く毎年のサバイバルウオークでも思ったほど参加者は増えない。JRを使って京都や大阪に勤めに出ている人たち、災害時には徒歩帰宅が不可避であろう人たちの参加が少ない。

山岳トレッキングで応急手当を学ぶ 地域防災力を高めるためには行政のバックアップも欠かせない。しかし、災害ボランティアの立場から太田さんは「いろんな場所に出かけていきますが、防災行政の人たちが何をされているのか、私たちからは見えにくいところがあります」と率直に語る。もっとも「私たちが行政に近づいていかないということもあるかもしれません。行政とともに取り組みをするとなると、どうしても会議が多くなります。いろいろ議論した結果、私たちがやりたい活動がもし制限されるとしたら、それは本意ではない。私たちには、やりたいように活動したいという強い思いがありますから」と付け加えた太田さん。いずれも、「行政」「住民」「災害ボランティア」という三者の関係性を考えるうえで示唆に富む言葉ではないか。

なまずは大人のクラブ活動

 なまずの活動の特徴を太田さんに聞いた。

 「活動を拘束しないことでしょう」と即答した太田さん。数々の受賞歴を誇る団体でもあるから、あるいは厳格な組織なのかというとそうではない。「メンバー全員、なまずの活動が一番ではありません。バレーボール、社交ダンスときて、順番にすると後の方になるでしょう。参加できるときに参加する。私たちは"大人のクラブ活動"と呼んでいて、毎日学園祭をやっている気分です」。現在メンバーは約30人。男女比は半々。夫婦で参加している人が多く、平均年齢は55歳ほど。NPO法人にせず、任意団体のままでいるのも気楽に続けたいというメンバーの意思だという。

 各々のメンバーがもつ個性を存分に活用しようとする姿勢も特徴的だ。大型ロール紙芝居などは、医療機器を扱う会社に勤めているメンバーが、そこで出た廃材を使って自作してくれた。ミニチュア家具やカルタまで必要なものはすべて手作りする。特別な技術をもった人、人的ネットワークの広い人、さまざまな物品を調達できる人......なまずの活動の総体は、メンバー全員の能力の合計値でもある。

アルミ缶で作るあかり そして何より、なまずの活動は「楽しい」のである。建設作業員の労働安全衛生研修会に招かれて出前講座をした。講座終了後、主催者は「例年、講師に申し訳ないほど居眠りする人が多い。でも今回は、クイズに答えて手を上げたり、歌を歌ったり、寝る間がなかった。あっという間の90分間でした」と喜ばれたという。

 太田さんは言う。

 「講座を受ける人、提供する人、どちらも楽しくないと続かないでしょう。防災対策は期限のない活動です。いつ起こるかわからないことに対してですから、よけいに気持ちの継続が難しいのです」

 太田さんは、防災行政に携わっているわけでも研究に勤しんでいるわけでもない。一人のボランティアとして、地域の危険性、備えの重要性を人々に伝えようと決意した。教員の経験があるから、他者に学習の動機付けを与えたり、楽しく取り組めるように指導する技術はもっていた。だが、その熱意を生むのは何より自分自身が楽しむことだという。そして、メンバー全員がそれぞれの可能な範囲で、なおかつそれぞれの個性を生かせる形で活動に参画している。「新しい公共」の力の可能性は、そんなところに垣間見えているのではないか。

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