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【特集】他者を楽しませ、自身も楽しむ「笑って減災なまず流」ー「たかしま災害支援ボランティアネットワークなまず」の活動に見る「新しい公共」の力の可能性(2)

2011.02.24

楽しませるのも大事、でも自分自身が楽しまなければ続かない[1]たかしま災害支援ボランティアネットワークなまず 代表 太田直子さん

災害に対する危機感のなさを何とかしたい

 「なまず」が本拠を置く滋賀県高島市を含む琵琶湖沿岸地域には琵琶湖西岸断層帯が存在する。社会福祉協議会でボランティアコーディネーターをつとめていたとき、太田さんはその存在を知った。阪神・淡路大震災発生時は中学校で教員をしており、ボランティアとして被災地を支援したいと思いながら断念したという。以来、機会があれば災害ボランティアとして活動したいという気持ちをもち続けていた。

 「ほかの断層帯に比べても地震発生確率は高いといわれているが、地元住民にその危機感はあまりありません。阪神・淡路大震災のような大地震に不意打ちされると大変なことになる。地域の人たちに備えの重要性を何とか伝えなければいけないと思いました」

 2001 年、太田さんは災害ボランティアグループの結成に動き出す。これがなまずのスタートだが、最初から活動が順調だったわけではない。むしろ失敗の連続だった。大震災の被災者を招いて講演会を開き、メンバーを募ったまではよかった。だが、いざ活動となると何をしてよいのかさっぱりわからなかったという。

 「災害を体験したこともない、被災地に行ったこともないメンバーが集まり、何も起こっていないこの場所で何をするのか、途方に暮れました。しばらくは湯飲み茶碗を見つめるだけの会でした」。太田さんは苦笑しながら振り返る。

 忘れられない苦い思い出もある。社会福祉協議会の会報に防災対策を呼びかけるチラシを挟み込んで配布することにした。12回シリーズを予定した。高齢者にも読んでもらえるように、イラストを配したり、クイズを盛り込んだりと工夫した。ある集会でのこと。「このチラシご覧になったことありますか」。社協側の問いかけに会場の反応はなかった。「無駄なことをしているのではないか」。太田さんは自信を失いかけた。チラシ配布は6回で打ち切った。

楽しいことだと人は集まる

防災啓発漫才  気を取り直して一念発起した太田さんは劇や漫才といった、いわば聴衆受けする柔らかい内容のプログラム作りに乗り出す。かつてメンバーとの話し合いの際に話題になり、その時は一笑に伏されたアイデアの復活だった。太田さん自ら劇の台本を書いて披露すると、思いのほか好評を博した。県内のある町で実施した、町内の地区を巡回する出前講座では、「漫才があります」と回覧板で呼びかけただけで多くの人が集まった。「この地域にこんなに人がいたのか」と担当者が驚くほどの人出だったという。

 太田さんはこの出前講座で2つのことを気付かされた。「ひとつは、楽しいことに関しては、人は集まるものだなということ。もうひとつは、多くの人に伝えるには出前講座が効果的だということ。たとえば、社協の建物で集会を開くとすると、どうしてもいつも社協に集まる顔ぶれがそろう傾向がある。それが地域に出向いていくと、それこそ近所の主婦がエプロンで手を拭きながら集まってきます。とても身近でいいんです」

 出前講座を繰り返すうち、評判を聞きつけたさまざまな団体から声がかかるようになった。自治会、老人会、子ども会、民生委員の会、赤十字奉仕団......。対象が異なれば同じ出し物は通用しない。対象に合わせて内容を見直し、追加する。なまずの防災啓発プログラムレパートリーはどんどん増えた。

 「笑って減災なまず流」ーーなまずの出前講座の名称だ。現在、この防災・減災に関する啓発活動は、なまずの日常活動の柱になっている。滋賀県内はもとより、近隣の各府県にまで年間50回の出前講座をこなす。ほぼ週末ごとにどこかで開いていることになる。ワゴン車にいっぱいの機材を積み込み、なまずのメンバーは「旅芸人のように」(太田さん)、どこにでも駆けつける。

ボランティアにもいろんな形がある

 災害時の被災地に対する支援もなまずの重要な活動だ。災害ボランティアだからいわば本業なのだが、ここでも「なまず流」は一味違う。被災地が気付かないすき間の活動、必要なのだが盲点になっている部分の活動を見つけ出す。

2004年7月の福井豪雨災害。炎天下の作業で熱中症にかかるボランティアがいることを知った太田さんは、敦賀漁港で氷を仕入れ、かち割り氷にして配ることを発案。 たとえば、2004年7月の福井豪雨災害。多くのボランティアは家屋などに浸入した土砂をかき出す作業に従事した。それが被災地で最も求められた作業だった。ところが福井入りする前、炎天下の作業で熱中症にかかるボランティアがいることを知った太田さん。「ボランティアのボランティアをしよう」とひらめいた。敦賀漁港で氷を仕入れ、かち割り氷にして配った。舞鶴市内では地元区長の自宅を訪れて、たまった土砂を排出し、電話番をした。災害時、地域のリーダーは復旧活動の先頭に立ち、自らの支援は後回しにされるからだ。

 県外ボランティアを募集していなかった能登半島地震では、「労力が提供できないなら、後方支援としてお金を落とそう」。太田さんは事前に地元でお金を集め、被災地・輪島市の朝市で干物を購入して帰って、お金を出してくれた人たちに配った。ふだんから地域のイベントなどに参加しては、収益をためて義援金にあてている。

 「私たちにできる支援はいろいろあります。被災地に行けないときは必要な物資を他ボランティアに預けたり、送ったりできます。新潟県中越地震の時は冬に向かう時期でしたから、近所の縫製工場で余ったフリースの布をもらってきてネックウオーマーを作り被災地に届けました。実際に被災地に入らなくても、外からでもさまざまな支援ができるんですよ」

 なまずの活動写真をご覧いただければお分かりになると思うが、なまずの活動は女性が前面に出る。細やかな心配りには、女性ならではの感性が生かされていると感じる。男性主体のボランティアグループではなかなか思い至らない部分だろう。

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