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日本海側は大災害発生の認識度合いが低い――内閣府調査より

2016.06.30

内閣府は5月31日、「日常生活における防災に関する意識や活動についての調査」の結果を公表した。調査は、少子高齢化が進むなか、国民の防災に関する意識や活動の状況を把握して地域における防災の課題を明らかにすることが目的。全国の15歳以上の男女1万人を対象に今年2月、ウェブアンケートとして実施した。調査結果については、同じ日に閣議決定された2016年版防災白書の巻頭特集でも詳しく紹介された。「東日本大震災から5年」「熊本地震発生前」における国民の防災意識を捉えた興味深い調査だ。

大災害に巻き込まれることを想定しているのは約6割

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調査ではまず、大災害発生の可能性について聞いた。「今、あなたが住んでいる地域に、将来(今後30年程度)、大地震、大水害などの大災害が発生すると思いますか」という設問に対し、「ほぼ確実に発生する」15.9%、「発生する可能性は大きいと思う」47.1%、「可能性は少ないと思う」30.2%、「可能性はほぼないと思う」6.8%だった。「確実に発生」「可能性は大きい」の合計は63%、「可能性は少ない」「「ほぼない」の合計は37%。国民の3人に2人は、自身が大災害に巻き込まれる可能性を想定しているということだろう。

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都道府県ごとの回答の傾向を詳しく分析したところ、これには地域別の傾向が認められたという。大災害が発生する「可能性が高い」(前述の「確実に発生」+「可能性は大きい」)とした割合は、太平洋側の地域で70%以上を占め、内陸・近畿北部で50~70%、日本海側では50%未満だった。

災害への備えに「取り組んでいる」は4割未満

調査は次に日頃の防災の取り組みについて聞いた。「日常生活において、災害への備えはどのくらい重要なことですか」という設問に対して、「優先して取り組む重要な事項であり、十分に取り組んでいる」という回答は3.4%、「災害に備えることは重要だと思うが、日常生活の中でできる範囲で取り組んでいる」は34.4%だった。これら「取り組んでいる」との回答が4割に満たなかった一方で、「災害に備えることは重要だと思うが、災害への備えはほとんど取り組んでいない」は50.9%を占めた。「自分の周りでは災害の危険性がないと考えているため、特に取り組んでいない」も11.3%あった。

大災害発生を認識している人が6割いるのに対し、実際に備えを実践している人は4割未満にとどまった。備えの必要性を認めながらもほとんど取り組んでいない人が5割に上り、そもそも必要性を認めていない人も1割いた。年齢階層別では、年代が上がるほど災害への備えに取り組み、若年層ほど取り組んでいない傾向があった。

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調査ではこのほか、「水や食料の備蓄といった自宅でできるような自助に関わることは取り組みやすいが、自主防災組織や消防団といった共助に関わることは敷居が高いと考えている人が多い」「近所の人や自治会・町内会などに対する地域の防災活動への期待は高いが、近所の人や自治会・町内会などと日常的に意思疎通をしている人は比較的少ない」などの傾向もうかがえた。

災害認識度が低い地域でも大災害が続発している現実

大災害発生の認識度合いの地域別分布図を眺めていて考えさせられた。前回、本ブログで取り上げた「全国地震動予測地図」との関係だ。同地図でも、今後30年以内に地震による強い揺れに見舞われる確率は太平洋沿岸が高く、その他の地域は相対的に低かった。

大災害発生の地域別認識度について、防災白書は「南海トラフ地震等に関する周知等により、災害に対する危機意識が浸透している可能性がある。今後の普及啓発活動の検討に当たって、示唆的な結果を得られた」と書いた。

確かにその通りだろうと思う。一方で、日本海側などの地域における認識度合いの低さが気になった。阪神・淡路大震災以降の国内の地震を振り返っただけでも、新潟、能登、福岡、そして今回の熊本と大きな地震は相次いでいる。大規模水害・土砂災害、火山噴火を含めると、国内のどこにも「自分の周りでは災害の危険性がない」と考えられる場所などないはずだ。

太平洋側の人々の災害に対する認識をさらに高め、実践的な防災の取り組みを一層促すとともに、それ以外の地域の人々にどう働きかけていくかは大きな課題だ。熊本地震前に実施された同調査において、大災害への認識度合いが熊本県で50%未満の青色であることが何かしら象徴的な意味合いを持っているように思えてならない。災害への認識度合いが相対的に低い地域で甚大な災害が続発しているのではないか。私たちは、私たち自身の心の隙をこそ恐れる必要がありそうだ。