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東日本大震災による死者19,418人に、いまだ続く余震

2016.03.17

 東日本大震災の発生から5回目の3月11日が過ぎた。この日を挟んで、メディアは多くの特集を組み、さまざまな角度からこの震災を報じた。東日本大震災を巡る報道はこの先も節目ごとに続いていくだろう。被災地と人々の復興を記録するために、将来の自然災害に備えた防災対策の進展を促すために――。メディアの報道の陰に隠れて目立たなかったが、総務省消防庁は3月8日、「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の被害について(平成28年3月1日現在)」(第153報)を公表した。

大規模災害の被害確定には時間がかかる

 大規模災害の被害の確定には長い時間がかかる。東日本大震災の被害もいまだ確定していない。実際のところ、被害は拡大し続けている。被害の全容を把握しないうちはその災害が終わったとは言えないと定義してみる。その意味では東日本大震災はまだ終わっておらず、現在も進行中の災害ということになる。

 ブログ子は、災害の被害確定に時間がかかることを阪神・淡路大震災で知った。1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災で、総務省消防庁の「確定報」が出されたのは2006年5月19日だ。11年以上が経過していた。

 今回試みに、阪神・淡路大震災以降の主な地震災害の被害確定日を、同庁のサイトで検索してみた。

・2000年鳥取県西部地震、発生は2000年12年10月6日、確定報は2002年10月10日。

・2001年芸予地震、発生は2001年3月24日、確定報は2005年9月24日。

・2003年十勝沖地震、発生は2003年9月26日、確定報は2004年3月31日。

・2004年新潟県中越地震、発生は2004年10月23日、確定報は2009年10月21日。

・2007年新潟県中越沖地震、発生は2007年7月16日、確定報は2013年5月17日。

 阪神・淡路大震災ほどではないが、被害の確定報が出されるまでに、新潟県中越沖地震は6年、新潟県中越地震は5年かかっていた。2007年能登半島地震、2008年岩手・宮城内陸地震については確定報は見つからなかった。いまだ確定していないのだろう。

被害報告を読み返す、ただならぬ緊張感

 総務省消防庁のサイトで、東日本大震災の被害報もさかのぼってみてみた。地震の発生は2011年3月11日、14時46分ごろだ。サイトの初出は「三陸沖を震源とする地震」の第2報だった。地震発生から約45分後の15時30分に出されていた。人的被害、建物被害はいずれも「確認中」とあった。14時46分に官邸対策室が設置されたことが記されていた。

 最初の死者が報告されたのは第5報だ。「岩手県久慈市において死者1人」などとあった。報告の地震名が「東北地方太平洋沖地震」になったのは第6報以降だ。同報は17時30分に出された。この間、マグニチュードも第2報の7.9から、8.4、8.8へと高くなった。マグニチュードが9.0と報告されたのは3月13日の第28報だった。

 被害報告だから、人の感情など一切含まれていない。日時と場所、数値などの事実関係のみが淡々と記されている。ただ、その記述量は被害が明らかになるにしたがって増していく。第2報はA4サイズの1枚だった。最新の第153報は40枚だ。

 地震発生直後の被害報告を時系列に眺め直すだけでも、発災直後の防災対応機関のただならぬ緊張感を感じ取ることができる。都内で揺れを感じた自分自身の記憶も重なる。背筋にゾクゾクとした寒気が走る。

死者は193人増加、止まらない震災関連死

 第153報について、総務省消防庁の報道資料は、ちょうど1年前の第151報と比較した相違をまとめている。

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 死者が193人増加し、19,418人となった。「震災関連死の死者として新たに認められた方が増加したため」と理由が述べられていた。震災関連死による死者の増加が止まらない。

 行方不明者は22人減少し、2,614人となった。「身元不明のご遺体について、新たに身元が判明したため」という。捜索はいまだに続く。関係者の努力に頭が下がる。

 その他、市町村による精査の結果、住家被害の棟数が減少した。全壊は約6,000棟、一部損壊は約22,000棟減少した。

 153報をつらつら眺めていて、余震の記述にはっとした。今年3月1日現在、東北地方太平洋沖地震の余震は、最大震度4以上「282回」を数えた。昨年3月1日現在では、「273回」だった。震度4以上だけでも1年間に9回。余震は今も確実に続いている。