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【第3回】地域防災計画ができた歴史を振り返ってみる

2010.07.04

地域防災計画は安全な社会をつくる必携の書

地域防災計画を防災の憲法だと言う人がいるが、日本国憲法を読み通した人は極めて少ないだろう。ことほどさように自分の街の地域防災計画を読む人は少なく、防災業務にたずさわっていなければ計画の存在すら知らない。防災計画は過去の多くの被災体験から私たちの社会が学んできたものの結晶であり、安全な社会をつくるための必携の書と捉えてほしい。

戦争と災害で荒廃した戦後日本の国土

古く昭和10年代後半、太平洋戦争も末期に近づき、我が国は兵器の調達のために全国の山林で伐採が行われ、さらに米軍機による爆撃も重なり、国土はひどく荒廃した。昭和20年に終戦を迎えた後、枕崎台風、三河地震、南海地震、カスリン台風、福井地震など自然災害が立て続けに起こり、対策が後手に回ったこともあって多数の死者と経済的な損失を負った。当時は災害に対する法律や制度は一本化されておらず、所轄省庁もばらばらで責任の所在も不明確であった。

昭和21年の南海地震では、家屋の倒壊、延焼火災、津波などにより1432 人の死者が発生、この災害を契機に災害救助法が成立して現在も応急対応の重要な基準として運用されている。その後、昭和27年になって十勝沖地震が発生、105 億円余という損害の大きさに驚愕した全国知事会は災害対策調査委員会を設置して従来の防災行政について検討した。検討結果は非常災害対策法要綱として関係方面に配布され、災害対策の基本的な方針として全国の自治体に普及していった。その後しばらくは災害対策に関わる法律制定などの動きはなかった。

伊勢湾台風被害に対する「人災である」との批判

昭和34年9月26日、台風15号(929・5hPa) は伊勢湾の西側を通過し、死者・行方不明者5041人、家屋の全壊・流出4万841戸、被害総額5000億円を超える戦後最大の被害を発生させた。伊勢湾台風の勢力やコースは確かに最悪だったが、都市開発に際して防災上の配慮を欠き、水防体制が整備されておらず、警報の伝達指示が適切を欠くなど人災であるとの世論の批判が高まった。こうした状況下で防災に関する法律の制定が必須と考えられ、立法化の動きが急激に高まる。気象庁は気象審議会、行政管理庁は行政審議会を設置、内閣府も世論調査を行うなど行政内部でも制定への動きが見られた。

内閣審議会が中心になって「災害対策の整備に関する法律案」が昭和35年1月にまとめられたが、この法律案では各省庁の意見が整わず、幾多の手直しと紆余曲折を経て5か月後に「災害対策の整備及び推進に関する法律案」となった。一方、自治省も独自の「防災基本法案」(11章83条)、自由民主党も翌年1月に「防災基本法案」(11章134条)を提案した。36年4月に各省庁会議が開かれ、調整を経て自民党の「防災基本法案」への一本化が図られた。災害対策基本法案は36年5月に国会に提案され廃案、同年9 月に再提案され10月に可決成立し、37年7月に施行となった。

防災担当者に求められる地域防災計画管理の覚悟

法律の第1条目的に、国民の生命、身体及び財産を災害から保護するため、必要な体制を確立し、各機関の責任を明確にして、防災計画を作成すると位置づけられている。

このように長い歳月と甚大な被害の経験のうえに成立した地域防災計画である。その管理にあたっては、毎年発生する災害の対応から得た教訓や防災訓練の課題を踏まえ、必ず内容を見直して変更する必要がある。また計画の変更内容について関係機関、相互支援協定先に通知し、住民に広報することを忘れてはならない。これらは、安全な社会のための必携の書「地域防災計画」に向き合う防災担当者に求められる当然の姿勢である。

井野盛夫(いの・もりお)
富士常葉大学環境防災学部客員
1937年静岡市に生まれる。61 年東京教育大学卒業後、静岡県職員に採用される。工業用水道課、水資源課、地震対策課長を経て92 年より防災局長。96 年より静岡県防災情報研究所長。2000年より富士常葉大学環境防災学部。理学博士。

中央防災会議専門委員、地震調査研究推進本部専門委員、静岡県立大学客員教授、兵庫教育大学講師、静岡県講師などを歴任。97年国土庁長官防災功績者表彰。

著書に『こうすれば東海地震はこわくない』『抗震-東海地震へのアプローチ』『抗震(改版)』(静岡新聞社)『今だから知りたい東海地震』(共著、静岡新聞社)『名水を科学する』(共著、技報堂)『地震予知がわかる本』(共著、オーム社)『地域防災計画の実務』(共著、鹿島出版)『東海地震いつ来るなぜ来るどう備える』(共著、清文社)など。

※本稿はbside2008年7月号[Vol.3]に掲載したコラムを再掲載しています。